大阪のおばちゃん。大阪のお笑い。

腕時計とは関係ありません。ちょっと聞いて。
大阪のおばちゃんのイメージ。

昨日バラエティ番組の再現映像を見て思った。
精算待ちの長い列の先頭でレジの店員に値段交渉するおばはん。
「もうちょっとまけてえな。そや、フードいらんからこれはずしたら安なるやろ?な、この分値段引いときいな。」・・・
フード付きの上着のフードはずして安くせいてか。そこまで値切る人間大阪にはおらん。安モン買いを誇っても、決して理不尽な要求はせん。

教室で授業中の女子生徒。隣の女子にシャープペンシルを貸してと頼むと、隣の女子が渡してくれたものはシャーペン型の消しゴム。えっ?っと訝ると、隣の女子「そこはツッコマナ。」と、わざと違ったものを渡してツッコミを強要・・・
授業中まで?四六時中まわりにツッコミを要求してるようなそんなうっとうしいヤツ、大阪にはおらん。
こうゆう空気読まんヤツが大きなって大阪のおばちゃんになるんやという視聴者へのインプリンティングか?
・・・こんなイメージ映像のオンパレード。

とにかく、無遠慮で自分勝手、粗野で口が汚い、どうしてもそういうイメージを全国的に植え付けたいみたいやね。

テレビで見る大阪のおばちゃんのイメージ映像。大阪人が台本書いたものはほとんど無いと思うよ。僕は断言します。こんな人ら、僕の周りにはおらん。見たことがない。
確かに少数、無遠慮で自分勝手、粗野で口が汚い人間はおる。しかし、そんな輩は全国・全世界どこにでもおる。

再現映像を見てコメントする芸人達。「大阪におるおる、こうゆうの」って大騒ぎ。おかしいやろ。アホちゃうか。
笑いのネタとしてこういう絵がほしいんやろけど、周りにイヤな思いをさせている状況の絵は笑いになりません。
人情家でやさしくて、余分な世話やいては後悔してる、愛すべき大阪のおばちゃんたちに失礼やろ。

ちょっと下品で恥ずかしい事を自らが自虐的に、大げさに表現して笑いを取る。これはあります。これは笑いになります。でも、他人をネタに大げさに貶めることは決して質の良い、品のある笑いにはなりません。番組の企画も、ひな壇の芸人も、笑いの質を高める努力はほしいと思うのです

大阪とお笑いの話

関西のお笑いは文化として誇れるものやと思うけど、テレビで放送されるお笑いはほとんど吉本興業系のお笑いやしね。最近は松竹芸能まで吉本系お笑いのマネしてるみたいに見えるし。
全国の人に言います。吉本系のお笑いは即物的な品のないお笑いです。それはそれでいいのです。とてもわかりやすいお笑いで、アホみたいにただ笑ってればええんやからね。大歓迎、大好きです。
でも、それが全てではありません。本来の大阪のお笑いは、もっとたおやかな間(マ)と情をを大切にするお笑いです。
裸芸人を見て、即ギャハハと笑うお笑いではありません。ウィットの効いたユーモアなのです。

寸秒を気にするテレビの放送には合わないお笑いなのでしょう。
大阪の庶民の日常は、せかせか早口の会話に、ゆるやかでたおやかな会話が混ざり、そのコントラストの中で自然に醸成される間がウィットとユーモアを生む独特の文化の中にあるのです。そういう文化を生んでいるのが、本来公家の言葉が基になった大阪弁なのです。大阪弁独特の少し間延びした「緩さ」があるからこそ醸し出される雰囲気なのです。
日常の雰囲気がそうなので、毎日人情喜劇のなかに浸っているようなもんです。
大阪の人が二人寄れば漫才になる、というのはよくあることです。

子どもの頃、映画会社に勤めていた親父に聞いたことがあります。
「おとうちゃん、なんでテレビや映画のワルモンはみんな大阪弁なん?」
親父は言いました。
「テレビも、映画もほとんどが東京で企画されるからな。ワルモンはな東京弁や標準語はあかんねん。名古屋弁でも広島弁でも博多弁でもあかん、大阪弁やないとあかんのや。ま、決まり事や。」・・・・
今でも、ドラマ見るとそういう傾向ありますね。
これ、大阪のおばちゃんのイメージ付けと共通するものあると思いません?

ま、ワルモンでええんちゃうかな。正直、エエモンよりワルモンのほうがカッコエエこと多いしね。
それはそれとして、テレビのお笑いを見ると、伝統的な本来の大阪のお笑いが消えていくようで、もったいなく、さみしい思いがするのです。

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